2024/1/6:
また鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺(うご)かしに来る。猫がどこかで痛く噛まれた米噛(こめかみ)を日に曝して、あたたかそうに眠っている。先刻(さっき)まで庭で護謨(ゴム)風船を揚げて騒いでいた小供たちは、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚(こうこつ)とこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっと肘を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである。(三十九)
(夏目漱石『硝子戸の中』岩波文庫)
2024/1/13:
世の中に住む人間の一人として、私は全く孤立して生存する訳には行かない…しかし今までの経験というものは、広いようで、その実甚だ狭い…今の私は馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容れる事が出来ないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。(三十三)
(夏目漱石『硝子戸の中』岩波文庫)
2024/1/20:
一 天地玄黃
二 宇宙洪荒
五五 空谷傳聲
五六 虛堂習聽
(小川環樹・木田章義註解『千字文』岩波文庫)
2024/1/27:
一八三 索居閒處
一八四 沈默寂寥
二三七 年矢每催
二三八 曦暉朗耀
(小川環樹・木田章義註解『千字文』岩波文庫)
2024/2/3
世間で、どういわれようと、あたしは気にしない。すべての物事の本当のすがたを深く追い求めて、どうなるか、どうなっているのか、しっかり見なくちゃ。それでこそ因果関係もわかるし、意義があるんだから。こんなこと、初歩的な理屈だよ。毛虫は、蝶になるんだから。
(作者未詳(蜂飼耳訳)『虫めづる姫君』光文社古典新訳文庫)
2024/2/10:
絹だって、みんな深く考えないで着物にして着ているのかもしれないけれど、あれは、繭をつくった蚕が、繭のなかでまだ羽もはやさずにいるうちに、糸を採るんだからね。世間では、見た目のきれいな蝶を好むっていうけれど、よく観察してみれば、羽がはえたらおしまいだってことが、わかるでしょうよ
(作者未詳(蜂飼耳訳)『虫めづる姫君』光文社古典新訳文庫)
2024/2/17:
試しに物語を手に取って見たが、昔見たようには全く感じられず、私は茫然とした。しみじみと心を触れ合わせ言葉を交わした友達あたりも、(私が女房に出てしまった今となっては)私のことをどれほど恥知らずで浅はかなものと思っていることだろう。(三十七)
(山本淳子『紫式部日記 現代語訳』角川ソフィア文庫)
2024/2/24:
のんきそうな水鳥を、水の上だけのよそ事などと見るものか。私もまた人から見れば、豪華な職場で浮かれ、地に足のつかない生活をしているように見えるのだから。でも本当のところは水鳥の身の上だって大変なはずだ。私もそう、憂いばかりの人生を過ごしているのだ。(二十二)
(山本淳子『紫式部日記 現代語訳』角川ソフィア文庫)
2024/3/2:
「生まれ持った自分を完全に解体した時、人は自分自身になれる。生まれた瞬間から僕らは形作られている。でも自分が心から好きなものは何か?生きる支えは何か?なぜ生きるかを深く考えると、自分に対する認識が変わる。大事なものが大事じゃなくなる」
(優雅なインドの国々 バロック meets ストリートダンス)
2024/3/9:
「彼らの愛するものの中に僕らが踏み込んだ。僕たちの方法で彼らの愛するものを最大限にリスペクトした結果だ。これが出会いだ」
(優雅なインドの国々 バロック meets ストリートダンス)
2024/3/16:
・もって生まれたくそぶくろの重み。
・僕は決して男ざかりというものを体験しないだろう。子供から一気に白髪の老人になるだろうよ。
(マックス・ブロート(辻瑆 、斎尾 鴻一郎)『フランツ・カフカ』みすず書房)
2024/3/23:
・僕は毎日地上から離れたくなる
・僕に欠けているものは僕自身だけだ
(マックス・ブロート(辻瑆 、斎尾 鴻一郎)『フランツ・カフカ』みすず書房)
2024:3/30:
・死はわれわれの眼前にある
・ここには私の全部を理解してくれる人がいない。もしそういう理解のある人をーそれは妻であってもかまわないがー一人持ったとすれば、私はあらゆる方面から支えられていることになるし、神を持っていることになる。
(マックス・ブロート(辻瑆 、斎尾 鴻一郎)『フランツ・カフカ』みすず書房)
2024:4/6:
・だがもしもお前が毅然としているならば…そのときには、お前も変わることなき暗き彼方を見るだろう。そこからは、ただ一度だけ車がやってくる以外、何物も来ることはあり得ない。車は近づいてくる。次第次第に大きくなる。そしてお前のかたわらに到着するその瞬間に、世界を満たすものとなる。ーそしてお前は車の中に身を沈めるのだ、ちょうど嵐と夜を衝いて走る旅馬車のクッションに子供が身を沈めるように
・夢どもが到着した。河を遡ってやって来た。梯子をつたって埠頭の岸壁を上がってくる。みんなは立ちどまって彼等と話をかわす。彼等はいろいろなことを知っている。ただ自分たちがどこからやって来たかということだけは知っていない。…何故君達は腕を振り上げるのだ、私たちを腕に抱きしめるかわりに。
(マックス・ブロート(辻瑆 、斎尾 鴻一郎)『フランツ・カフカ』みすず書房)
2024:4/13:
・「カフカによって何が明確になったのか?それは人生の不明確さなのだ」(ブロートの言葉)
(マックス・ブロート(辻瑆 、斎尾 鴻一郎)『フランツ・カフカ』みすず書房)
2024:4/20:
・幼な子は無垢である。忘却である。そしてひとつの新しいはじまりである。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。そうだ、創造の遊戯のためには、わが兄弟たちよ、聖なる肯定が必要なのだ。ここに精神は自分の意志を意志する。世界を失っていた者は自分の世界を獲得する。(三段の変化)
(ニーチェ(氷上英廣)『ツァラトゥストラはこう言った』岩波文庫)
2024:4/27:
・ああ、わが兄弟たちよ、わたしがつくったこの神は、人間の作品であり、人間の妄想であった。すべての神々がそうであったように!その神は人間であった。しかもたんなる人間と自我の貧弱なひとかけらであった。わたしの灰と火影から、それは出てきたのだ。この幽霊は。まことに!それは彼岸からやって来たのではなかった!(世界の背後を説く者)
(ニーチェ(氷上英廣)『ツァラトゥストラはこう言った』岩波文庫)
2024/5/4:
・すべての書かれたもののなかで、わたしが愛するのは、地で書かれたものだけだ。血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。(読むことと書くこと)
(ニーチェ(氷上英廣)『ツァラトゥストラはこう言った』岩波文庫)